Dくんと3回目の会話をしたのは昨夜だった。
「どこまで話したかな。そうそう幣立神社行ったんや」
そこで、お参りしている地元の老夫婦に会った。
「兄さん時間あるか。あるんなら、掃除をしていき」
と, 言われ、拝殿やら、「龍王」の扁額のかかったお社やら、掃除して「来てよかった」と思ったそうである。
「そこは、阿蘇山の遥拝所だそうだそうだけれど、お社はみんな無事だった?」
「参道は崩れているところや歪んでいるところもあるけれど、何とか。おじいさんたちは、『このくらいで、止めて頂いてありがとうございました』の気持ちでお参りしたといっていたけれど、ほんとにそう思う」
今は、どうしているのか、揺れは治まったのか、寝場所はあるのかなど矢継ぎ早に質問した。もともと、私たちはテレビを持っていない生活をしている。私はパソコン、タブレットを持っているが、彼はそれさえない。カーラジオくらいであろう。情報が入らないことを嘆いていた。それは、孤立に近い被災地の抱える重要な問題だろう。今は、避難して使われなくなった建物を借りて自炊をしているようだ。電気は来ているが、水がない。湧水がかれたり、川の流れが変わっている。そんな中で彼らは、3人で屋根にかけたブルーシートを貼ったり、劣化してしまったものの取り換えを主にしているようだ。心配かけまいとしてか、そんなに揺れてはいないと言っていたが…。
古の人々はよく知っていたものである。地名にも危険を知らせる名前をつけていた。それなのに『平成の大合併』のもと、深く考えもせず、地名を変更したり、なぜそこに人が住んでこなかったのか、考えもなく、宅造をすすめたりしてきた。
幣立神社のように構造線の端にはきちんと、幣をたてお祭りしてきた人々の自然に寄り添い敬う姿勢が大切だと思う。Dくんは、きっと、大自然に守られ、生き向くことができると信じている。
ささやかながら、現地で頑張る彼らを支援していこうと思う。
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