私たちは皆 地母神から生を受け、母なる大地に帰って逝くことから、確かなことだと思います。この世で生きさせていただくひと時だけ大地の恵みを受け、大地(地球)を取り巻く宇宙環境からの恩恵をいただいて過ごす。大地に生きるすべてのものから命をもらい、助けられて生きているのだから「大地の子」とも「地母神である神の子」ともいえる。故に言える言葉なんだと私は解釈しています。
確かに縄文と古事記は相容れません。古事記はどの時代も投影していない物語であるからです。古事記以前にも各氏族のもつ歴史や伝承を伝えた書物があったと言われていますが、残念なことにすべて偽書とされている。その真偽や存在さえ定かではありません。古事記自身、書き残した人々の狙いや思惑によって言い伝えられたことのすべてが書かれているわけでもありません。あくまでフィクションであり、物語です。
だからこそ考古学や民族(民俗)学、人類学や医学まで、あらゆる分野の成果でもって実証しなければ「ほんとのこと」は分からないし、作業は困難です。総合的な実証が必要です。目に見えている事象だけ扱っていても分からないでしょう。
彼の言うところを私は自分なりに以上のように理解することができました。
人だけに生命があるわけではないことに踏まえ、他のものの命をいただいてしか存在できない人類には母なる大地を護り、次に生まれてくる子孫に美しいまま、手渡していく役割があると考えます。
よって彼の講演会を引き受けました。
11月4日(金)10時から13時まで一刻堂にて行います。
参加費5000円+お昼の軽食オーダー
わせなつみさんも友情出演してくださいます。
ご来店お待ちしております。
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