これまで持たされ,持っていた現在の私たちの感覚を離れ、縄文の名残り色濃い古事記上つ巻のうち〔黄泉の国〕を読み合わせして講演を聴き細かく区切って論議をしました。
今まで子殺しの手前勝手な男にしか見えなっかったイザナギノミコトのただただ妻を愛しく思う気持ちが見えてきました。素朴で素直な行動の様が可愛くもありました。殺されたはずの火の神は今なお生き続けている。ここが縄文らしく素敵なところ。死んだイザナミノミコトに会いに行くところの謎は今回ようやく解けました。ここがわかったればこそイザナギノミコト、イザナミノミコトの気持ちが○十年かかってようやく理解できました。その答えはここには書きません。読み取ってください。
縄文人の生活、考えに寄り添って、古事記とくに上つ巻をお読みください。児童文学者の奥田継雄先生はよく「古事記嘘つかない」としばしばいわれます。古事記の内容は書かれた当時に照らしてもいっぱんに言い伝えられていたこととさして違わなかったことでしょう。こうしてみると神々の相手を想う心情が愛しく思えます。
11月4日「縄文古事記」講演会より 一刻堂にて
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