2014年3月31日月曜日

『庶民のまち 私のまち』岸本正義写真集ー岡山の下町・奉還町界隈ー

 古くからお住まいの方から頂きました。撮影年月日が入っていないのが残念です。発行は、平成2年9月。 
 あとがきや内容から昭和の60年代~平成初期あたりの写真であることがうかがえます。
 伝説の古書店店主森さん、今もある石材屋さん、とりいくぐるのもとの姿も見えます。昔の奉還町商店街を懐かしんで訪ねてくださるお客様たちのために、当分(かなりずっと)非売品として店内に置きます。
 みなさんで往年の奉還町を偲んでください。

2014年3月19日水曜日

新書本入荷してお待ちしています。

 店主好みの新書本です。文庫本も入りました。まだ整理中のものもあり、一部しかならんでいません。近代史、詩、俳句、歌、評論などです。永年、地方で同人誌を主宰されていた方の蔵書です。ご本人の作品もありますが、店内に並べるには、しばしお時間ください。興味のある方、ご来店お待ちしています。
 まじめに仕事を終えて、今日は、近くの谷万成にある青陵神社(あおはか古墳)に行ってきました。周辺は、万成石の産出地。りっぱであったであろう前方後円墳は削られ、箱式石棺がむき出しで祀られていました。

「温羅」の墓と伝承されている石棺


温羅の首を埋めたとされる白山神社な真北に1500m望む 
青陵神社(石棺は向かって右にある)

2014年3月18日火曜日

3月29日語る会1時30分から。参加ご希望の方ご予約ください

 店の方で置いている「一刻堂通信」でご案内のように、サウンドオブ ミュージックのトラップ一家のアメリカ亡命後の暮らしを描いたドキュメントを観てお茶を飲みながら語り合い、交流を深めあいます。一刻堂3回目の企画会。ご予約はお電話でもたまわります。
 お客様のご要望、ご協力により、今後も観る会、語る会など、交流会を計画しています。ご意見、ご要望お寄せください。
 一刻堂に時計がないことに気が付かれたお客さんがありました。
 開店間際に「お客さんのことを考えて時計ぐらいはおきなさいよ」と娘に言われて、小さな時計をこっそり厨房の対面の換気扇のところに置きました。
 これからは時間に支配されたような生活を送りたくないと、退職した日に、30年以上壁にかけていた時計をゴミ箱に棄てました。全く異なる業界に出て、半年が過ぎました。毎日、浦島太郎の気分を味わっています。
 一刻って、どれだけの長さかご存じですか。現世での一刻も、竜宮城での一刻も、一刻です。お客さんから、当店にふさわしいアンティークな時計をいただきました。
一刻堂の時を刻みます。これからも一刻堂でゆったりとした、ひとときをお過ごしください。

2014年3月15日土曜日

備中松山城NO,2

川も現れた
写真が載り切らないので続けました。

霧が消え、城下が現れた
城下は雲海の下
 登城中いたるところに野猿注意の看板がありました。霧の中に透き通った鳥の声。兵庫の竹田城もきっといいだろうけれど、ここもぜひお出かけください。朝一番で来た甲斐、大いにあり。

2014年3月13日木曜日

備中松山城に行きました。NO,1

 3月13日。晴れの国岡山も今日は夜半から雨でした。雨の声を聞いていた私は、昨日の定休日のうちに高梁へドライブしました。
 朝6時出発。まだ明けきっていないので、ライトをつけて走り始めました。関東と比べ、夜明けが遅いことを思い出しました。
 混雑なく快調な走り。高梁の市街地に下るころ、辺りが、にわかに霧に包まれ始め、再びライトをつけました。せっかく日本一高いところに築き上げられた天空の城、備中松山城を目指そうというのに。八合目で車を置いて、歩き出したころは、霧の中にあり、ひんやりしていました。お城見学の受付は無人で、「受付9時より」とあり、携帯を見ると、まだ8時なのでしめしめとほくそ笑みました。
お城に着いたときには、霧から抜け出しており、写真のような見事な雲海が一望できました。
 9時前だというにお城には門番のように受付係がいました。こんなに見事な雲海はこの季節には珍しいそうです。雲海目当ての方は、11月頃お越しください。 
備中松山城本丸を望む
城から吉備中央町方面を望む

2014年3月2日日曜日

シィークワアーサーコーヒー、レモンコーヒー始めました。

 一宮町の岸さんの農園から頂いた採れたてレモン、シークアーサアーを使ったコーヒーを
お届けします。季節限定商品になるかもしれません。
 さわやかな朝を迎えるために、眠気覚ましに、フルーテイーな香りをお楽しみください。

国分寺跡 
後円部あたりのトレンチ
両宮山古墳

趣味のことですが、雨の中、岡山県で三番目に大きい両宮山古墳の現地説明会に参加しました。高校生の頃、環濠に水をたたえた奈良のうわなべ、こなべ古墳を初めて見た時の興奮を思い出しました。調査によって、造成はされたものの、古墳として使用された形跡はないことが明らかになったようです。備前国分寺跡はじめ、たくさんの遺跡が残る古代山陽道に面した要所です。赤磐散策、是非また行きたい。