2017年5月8日月曜日

総社芸術祭「鬼火」に寄せて

 5月5日吉備線に乗って行きました。市民参加で作る劇です。あれだけの人数の参加者を動かして舞台を作っていくのはさぞ大変なご苦労をされたことだろうと思います。
 物語のテーマもいい。子鬼からもらった鬼火によって親が生きていく。生かされていく。わたしたちは大人になるにつれ生かされている意味を忘れていってしまいがちです。 
 我が娘は生まれて三度こんな話をしてくれました。小学校に入る以前のことです。
「お空にいたとき、ふたりに女の人がいて、ひとりはハッピイそうな人、ひとりは困って苦しそうな人。後ろから声がして、この人は今は苦しんでいるけど、後からハッピーハッピーになるよ。どっちにしようかなとみていたら、後ろからドンとおされて、お母さんのところに来たんだよ」
 二度目は、成人したころでした。誕生日にまだ小さかったころこんなことを言っていたと話したら、「そうだよ」と、もっと詳しく話してくれました。
 三度目はつい先日、娘の誕生日の頃です。じつは今年になって、店に「ママとパパをえらんできたよ」(三交社ROSSCO著)がある方より届きました。娘の話をしたら、「2000年以降そういうことをいう子たちが増えているそうよ・・・」
 うちのは1994年生ですが。機会があればしりたいところです。わたしには残念ながらその記憶はないです。毎年娘は「産んでくれてありがとう」と言ってくれます。わたしにはそんな感謝の念がありませんでした。生まれたくなかった、生きていたくないと言った否定的な気持ちの方が強かった時期さえありました。きっと自分の中の鬼火を忘れていたのでしょう。遠い祖先から受け継いだ自分の内にある鬼火を思い起こさせてくれるいい作品でした。
 感謝!

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